「感動」というもの

選手への思い入れ

感動とか心に響くってのは、演技自体もそうだけど、それよりも、選手への思い入れとか背景とか物語に大きく影響されがちな気がする。応援してる選手が怪我してたのに頑張った、苦労を重ねて大舞台で滑りきった、となればそれは感動する。極論すれば、我が子がお遊戯会にて出ても、ね。

テン君の演技で泣きそうになったのは、演技自体も素晴らしかったけど、今までなかなかうまくいかないでくすぶってたのが、ここにきて大舞台で!!っ要因が大きいし。それなのに二回もこけたチャンより下なのかよ!!っとなりそうだった、というかなったw

個人的な感情による感動というのはかなり属人性が高く、客観性に基づく得点システムと直接リンクして論じるのは危険。ましてや、自分が「感動しない」から、あるいは演技以外の点を持ち出して揶揄するのは、私は見る目がありません、と公言してるようなもん。さっきのテン君のだと、チャンを抜かさないように一点ちょい下につけやがってこれは仕組まれてるねチャンを優勝させるためのカナダとISUの陰謀だ!!、、、心の闇は誰にでもあるのさ。

とはいえ、大多数の一般視聴者にルール体系の知識や技術的側面からの鑑識眼を求めるのは酷で、豊富なストーリーを持ち天真爛漫な性格な日本選手への心情的な評価が高くなり、逆にevil的な役回りで冷徹な機械のように精緻な滑りをする選手に冷ややかな評価が下されるのは、長く続いた構図として払拭するのはなかなか難しいのもかもね。

応援フィルター

よくある「○○選手のは心を打たれるけど選手のは全然感じない」というやつ。もしそれら特定の選手以外のトップスケーターの演技に「ふーん、すごいね」程度なのであれば、「応援フィルター」を通して見てるだけの可能性が高いです。

もちろん、特定の選手や球団を応援しながら観戦するのはスポーツ観戦の楽しみですし、贔屓の選手に大きな声援を送ることはよいことだと思います。また敵対する選手や球団などに罵声を浴びせるのもよくあることですwあいつら金で選手買いやがってこのクタバレジャイアンツが!ってねw。弱小燕ファンとしてはアレなのですが。でも、口では悪くいっても、同じ野球というフィールドに立つ選手、球団として、最低限の暗黙のリスペクトってのはあると思うんですよ。(燕ファンといっても、杉浦若松八重樫尾花渋井梶田時代から古田池山広沢石井時代までで最近は全然分かんないんですが、、、)

選手へのリスペクト

「まおちゃん大好きキムヨナ嫌い」でもいいと思うんですよ。好き嫌いは個々人のものだし、一ファンとして応援するのは真っ当だし、感情的なものはどうしようもない。でも、その「嫌い」という感情がどうして生まれたのか。確かに得点がすごく高くでる、理由がよく分からない、韓国だ、八百長だ、あーだこーだ、という暗黒面にフォースが落ちていないか。

また得点の出方や採点云々はさておき、あれだけのプログラムを完璧に滑り切ることは、スケーターとしてものすごいことです。嫌いでもいいです。気に食わなくてもいいです。ですが、優れたスケーターとしてのリスペクトは、スケートファンとして失わないでください。

あ、なんなら、ツンデレでもいいですよ。

「あ、、、あんたの演技なんて全然好きじゃないんだからね///ば、、、罵倒するために見てるだけなんだから///」
「え、、こ、、、この写真とか映像とかは、、、、、あんたに文句つけるために集めたんだからね//別に一生懸命探しまわったわけじゃないし、批判するためなんだからしょーがないじゃない!ひはぁん」