「不可解」に潜む誘惑

「不可解」の要因

よく「不可解な」という言葉が出てきますが、ようはその人が理解できない、分からない、ということ。原因としては大きく分けて、本人自身の理解力の問題と、対象の非合理性などの問題に分けられますが、前者を棚に上げて後者に押し付けようとするときによく用いられます。

本人自身の問題

前者は、

  • ルールに関する体系的な知識と理解
  • スケーティングの優劣を見極める目
  • 要素を即座にコールできる能力
  • なるだけ主観性を廃し客観的に判断を行い、かつ定量化して数値に落とし込める能力

などが必要になります。かなりハードル高いです。スピードからエッジワークの正確性、姿勢とバランス、安定性、上体の動き、手先の動きや目線、それらが曲調に合わせて的確に実行されてるか、ルールの文言と現実的運用に則して点数化するという作業が必要です。

また環境の問題もあります。前に触れましたが、放映用映像では限界があります。カメラワークに大きく依存するため、生で間近でみるのとはかなり異なります。早く見えることも、遅く見えることもあります。テレビの前で見ている一視聴者は、目に前でみてるジャッジに対して、大きなビハインドがあります。いい悪いではなくて、現実的にそうならざるを得ません。まずこれを認識してるかどうか。

まあ大抵何かおかしい!って時は自分のミスや誤解の場合がほとんどなんだけどね。プログラムが動かなくて、ライブラリのバグだ!と叫ぶのはいいけど、結局自分の呼び出しミスや勘違いだったり。

ルールやジャッジ側の問題

もちろん後者、すなわちルールやジャッジ側の問題もあります。採点競技の宿命的な部分もありますが、ルールの文言がとかく抽象的で、具体的にどういうスケーティングやエレメンツの実行が優れていて、どういう点数が与えられるのか、というのが明確に示しづらく、運用の中で探るしかない。法律の条文の解釈に基づく判例の積み重ねとでもいいましょうか、運用でカバーみたいな。また、出てくるのが数値のみなんで、なんでこの点数なの?っていう説明が公になされることがない。

匿名に関しては、仮にそれを排したとしても、あまり効果は高くないと思います。ジャッジの傾向がつかめやすかったり、責任の所在が明確になったり、気分的に透明性が上がったように感じるかもですが、ジャッジはジャッジの仕事をすればいいわけで、難癖を付ける人は個人攻撃に走るでしょう。個人的には、分かりやすさという意味から、匿名とランダムオーダーはやめたほうがいーなー、とは思います。まあそれよりもそれをなくすデメリットの方が大きいという判断なのでしょうけど。

あとは、必殺UNDER THE TABLEですね。ロビイ活動云々とか。これに関しては、私のレベルではコメントのしようがありません。完全にないとは言いきれませんし、それは悪魔の証明でもあります。でも、根拠なく八百長だ!陰謀だ!と決め付けるのがどれほど愚かかということは、常識のある人なら説明するまでもないと思います。

あと、ジャッジも人間ですから、間違いはあるし、人によって注目するポイントが違うこともあるでしよう。システムとしては、複数人による上下カットの上で平均をとる、とカバーしてますが、完全ではありませんし、採点根拠の説明もありません。
説明がない、と軽くいっちゃってますが、現実問題として、説明を求め始めたらきりがないですけどね。明らかなミスや、大きな乖離があったときぐらいは欲しいところですけど。

このように、システム側にも問題がないわけではない。だがそれは演技の定量化という、根本的に無理が伴うことに起因するものが多く、その制約の中でなるだけ恣意性を排すよう改良がなされ、現実的運用のもと概ね公正に行われてると判断できる。

定量化の限界

じゃあもっときちんと定量化しようと、ブレードにセンサーをつけエッジエラーと回転不足を検出し高さと回転速度を求め、歩数と加速度を計測し、体中にセンサーをとりつけてスピードや動きと曲調のマッチングを解析しスコアを出し、、、とするのがいいのか。パラメーターはどのように設定するのか、そもそもそんな「計測」にどれほどの意味があるのか。最終的には、「肥えた人間の目」に頼るしかない。

印象と採点の乖離

視聴者側の「印象」とジャッジの出した「数値」との乖離が生じた時、以上のどの要因の説明力が高いのか。これまた数値的な解析は不可能だが、少なくともシステム側の寄与率のほうが高いとは言えないだろう。それを、自分側の問題を棚上げし、システム側に全面的に押し付けるのが「陰謀論」の手法であり、ある意味魅力的でもある。悪いのは全部向こうのせいなのだから。