弓道になぞらえて話してみるテスト(未編集)

(編集予定)
「主観的」って言葉。ほとんど批判用語となってしまってますね。大体、恣意的、勝手に、好きなように、インチキっていう意味合いで使われることが多いです。
「不可解」「不透明」。これらも、「インチキ」に変えても、ほぼ意味は通ります。
陸上や水泳のような「計測」の場合は、主観的判断の入り込む余地がありません。大会では機械測定でしょうし、運動会などでは、「こっちが先にゴールしたように見えた」という、主観的云々というより、先生の動体視力の問題です。
もし、「フォームの美しさ」なども加味して順位が決定される、とかなると、主観的判断が入り込むとおもいますけど。
弓道だと、大会ではあくまで中った本数で勝負が決まり、所作などは関係ありません。「中て矢」とダメ出しされても、皆中させれば勝てる、と。八節を飛ばすとか礼しないとか、あんまりヒドイと注意されるだろうけど。
大会では中り重視ですが、審査(○段とか練士とか)では中った本数よりも、射法八節や所作、射方などの方が重視されます。さすがに4段で零中とかではダメですが、皆中させても所作不十分で落とされることもあります。
早気(会で我慢できずにすぐ射てしまうこと)の人とか、結構苦労してますよね。あたしは比較的遅い方で、4射2中で2段通りました。たしか。
で、合否の判定をするのは、つまり審査員は連盟のお偉いさんたちで、「○段として習得しておくべき正しい射法」に達しているかどうかを判定するわけです。審査員は何人かいて、合議制なのか多数決なのかは知りませんが、それぞれに対し合否を下します。
いわば、的中が TES で、射法が PCS みたいなもんでしょうか。比率としては後者が高い。
えーこの人受かってなんであの人落ちるの?って思う時もありますが、この人はこの射方を直さないと受かんないだろうーなーって人は、やっぱり落ちたりしてます。
中てようとしてはだめで、あくまで中る、なんですよね。正しい射法から左右均等に離れを起こせば、矢は自ずと的を射る。
フィギュアスケートも同じで、回そうとしてはダメで、正しいエッジワークに基づき滑れば、自然と回る。 ってなことを昔書いた記憶もあるが、まあいい。
で、審査に話を戻すと、その射が「正しい射といえるか」は、どうやってもその審査員の「主観的判断」になっちゃうんですよね。右肩が5cm上がってる、会が3秒しかない、などは客観的に言えても、それらを総合して、4段としての射たりえるか?というのは審査員個人の捉え方に依存してしまう。
あたしは審査する側に回ったことないのであくまで推測ですが、指導経験や審査の積み重ねにより、審査員個々人の、あるいは支部・連盟内でのコンセンサスというか、理想とする射法、格段ごとの許容範囲、重要なポイントとそうでない部分などがあるんではないかと。
こういうのは、明文化や点数化が非常にしにくいし、人によって当然差が出てくるしでなかなか難しいとは思いますが、人が人を見るわけで、「見る目がある人が判定する」しかないんですよね。
あまり詳しくない人が観に来て、「なんであの人は全部当てたのに落ちて、この人は1本外したのに受かるの?」というのは、「なんであの選手は全部ジャンプ決めたのに、一回コケたあの選手より下なの?」と感じるようなものかもしれません。
完全に主観性を排することは、事実上不可能です。「(部分的に)明文化されたルールとコンセンサスに基づく裁量」ととるか「勝手な好き嫌いやXXによる恣意的な操作」ととるか、ですね。
「あの人は審査員の先生の教え子だから受かった」「この人はあの審査員と仲の悪い先生の教え子だから落ちた」とか思うのはある程度しょうがないだろうし、本当にないとは言い切れません。でも、仲間内でヒソヒソ話するならともかく、裏も取らずにそうと決めつけて大声で喚き散らすのは、頭おかしいです
、、、と、弓道の審査とフィギュアスケートの採点を無理やりつなげてみました。かなり無理があったかもw
この手の問題の難しいのは、審査員でもなく本人でもない第三者は、そういった「恣意的だ」という意見を、確証を持って封じることが原理的にできない、ってところですね。自分が審査したわけでも、直接見たわけでも、見分ける能力もそこまでないので、はっきりとこうだ、と断言できません。
さて、氏の「アンケート」ですが、現状のところ予想通り 97.6% という脅威の支持率(総投票数1480)を誇っています。この結果を見て、「やっぱりみんなISUのクソジャッジより黒猫さんを信頼してるんだ!」などと考えるおっちょこちょいさんはさすがにいないとは思いますが、念のため。
ちなみに、あたしもジャッジに全幅の信頼を置いているわけでもないし、あのフリーの点数は正直、うっわーすっげー、よくこんなに出したなちょっと出しすぎじゃね?と感じましたし、この数字を見て「異常」と感じる人が出てくることは理解できます。
で、あのアンケートの結果は、「標本の偏り」「選択バイアス」で説明できます。あたしも別に市場調査の専門家ではありませんが、常識の範囲内で。
常世論調査などでは無作為抽出(あるいはそれに準ずる手法)で標本を集めます。あるいはマーケティングなどでは、特定の集団に絞ってアンケートします。渋谷の若い女性、とか、新橋のサラリーマンとか。
氏のアンケートは、言うまでもなく無作為抽出ではありません。まず i)そのアンケートの存在を知り、ii)当該アンケートの場所を探しあて、iii)選択肢を選び投票する、というステップが必要になります。
そもそもその存在を知るには、普段からの読者であるか、検索やどこかの書き込みを見るか、です。わざわざ検索したり掲示板チェックしてあそこにたどり着くということは、その時点でフィギュアの採点について興味がある、具体的には疑義を持っているあるいは疑義の存在に興味がある、ということです。
フィギュアスケート 採点 異常」でググると、トップに出てきますしね。検索フレーズランキングは nifty の search 結果しか載ってませんが、ふつーにログ解析すると、そういう単語がいっぱい出てくるんじゃないでしょうか。
そうしてなおかつ、実際に(IP晒してまで)投票ボタンを押そうと思う人は限られてきます。そこまでするほど興味も熱意もない、特に氏を支持しない、そもそも見たくもない、という人は、スルーするでしょう。「これは阻止せねば!」と熱意のある方は「支持しない」に投票するかもしれませんが。
そうすると、投票する人は、ジャッジに不信感をいだき、氏に共感してるひとにほぼ限られてきます。創価学会の建物の前で「公明党を支持しますか?」とアンケートとってるようなものですね。
おそらく投票期日後に勝利宣言とともにその結果を一般化しようとするかもしれませんが、標本の偏りが強すぎるんで、ムリダナ。
また、いつかのエントリで、標本の偏りを指摘したコメント(あたしじゃないよ)を引用し、それに対して、じゃあなんでジャッジがあんな高い点つけたのか説明してみろよ、という論点ずらしを行ってます。
この種の人々によく見られる詭弁の一種で、指摘された点には触れずに、関係ない議論をふっかけるというもの。これに限らず随所に見られます。いくら的を射た指摘をしても、じゃあこれはどうなんだよ、と逃げていきますので、大抵の場合徒労に終わります。
根気よく問い詰めていけば、自己矛盾に気づかせることもできますが、相当の労力と熱量が必要になります。かなり疲れるので、出来れば避けたいところ。